基隆市中正区正荣街、国军基隆医院附近の旭丘山上に位置します。元々は日本統治時代に基隆市役所が基隆港築港の功労者である松本虎太を記念して建設した「松本記念館」で、1935年に着工し、1937年に完成しました。第二次世界大戦中に軍に接収され、その後長期間軍管区内にあったため、「旭丘指揮所」と呼ばれています。2015年10月27日に基隆市の歴史建築として登録されました。
時代による使用の変化
松本虎太は京都帝国大学土木工学科を卒業後、1906年に台湾に赴任し、基隆港築港局の技手として基隆港の築港工事を設計・監督しました。1917年にはイギリスとアメリカに留学し、海水が鉄筋コンクリートに与える影響を研究しました。1927年には台湾総督府の技師となり、1932年7月から1941年末まで交通局道路港湾課長兼基隆築港出張所所長を務めました。基隆市長は1935年12月に松本記念館建設委員会を発起し、基隆市旭丘真砂町派出所上方の台地に松本記念館を建設する計画を立てました。この場所は基隆港を一望できる眺めの良い位置にあります。
建物は和洋折衷様式で、面積は97坪、建設費は約2万円です。館内には名彫刻家の鮫島台器による松本虎太の像が設置され、開館日には松本虎太夫妻を招待し、感謝状が贈られました。松本記念館の洋館外壁には黄褐色の溝面レンガが貼られ、門廊には螺旋状の柱があり、幾何学模様の窓が特徴です。
第二次世界大戦中には重砲兵連隊指揮所として軍事施設が配置され、戦後は長期間軍管区として使用されました。台湾省主席の陳儀と張学良が短期間滞在したこともあります。その後、海岸巡防部隊も一時使用していました。
現在の活用状況
2019年3月から基隆市文化局は「基隆歴史的シーン再現統合プロジェクト」の支援を受け、旭丘指揮所の修復再利用プロジェクトを開始しました。文資法に基づき計画設計と審査が完了し、2020年5月に修復工事が着工されました。修復対象には主建物、附属軍事施設、園区景観が含まれています。現在、まだ一般公開はされていません。
基隆市中正区正荣街、国军基隆医院附近の旭丘山上に位置します。元々は日本統治時代に基隆市役所が基隆港築港の功労者である松本虎太を記念して建設した「松本記念館」で、1935年に着工し、1937年に完成しました。第二次世界大戦中に軍に接収され、その後長期間軍管区内にあったため、「旭丘指揮所」と呼ばれています。2015年10月27日に基隆市の歴史建築として登録されました。
時代による使用の変化
松本虎太は京都帝国大学土木工学科を卒業後、1906年に台湾に赴任し、基隆港築港局の技手として基隆港の築港工事を設計・監督しました。1917年にはイギリスとアメリカに留学し、海水が鉄筋コンクリートに与える影響を研究しました。1927年には台湾総督府の技師となり、1932年7月から1941年末まで交通局道路港湾課長兼基隆築港出張所所長を務めました。基隆市長は1935年12月に松本記念館建設委員会を発起し、基隆市旭丘真砂町派出所上方の台地に松本記念館を建設する計画を立てました。この場所は基隆港を一望できる眺めの良い位置にあります。
建物は和洋折衷様式で、面積は97坪、建設費は約2万円です。館内には名彫刻家の鮫島台器による松本虎太の像が設置され、開館日には松本虎太夫妻を招待し、感謝状が贈られました。松本記念館の洋館外壁には黄褐色の溝面レンガが貼られ、門廊には螺旋状の柱があり、幾何学模様の窓が特徴です。
第二次世界大戦中には重砲兵連隊指揮所として軍事施設が配置され、戦後は長期間軍管区として使用されました。台湾省主席の陳儀と張学良が短期間滞在したこともあります。その後、海岸巡防部隊も一時使用していました。
現在の活用状況
2019年3月から基隆市文化局は「基隆歴史的シーン再現統合プロジェクト」の支援を受け、旭丘指揮所の修復再利用プロジェクトを開始しました。文資法に基づき計画設計と審査が完了し、2020年5月に修復工事が着工されました。修復対象には主建物、附属軍事施設、園区景観が含まれています。現在、まだ一般公開はされていません。